百合とは女性同士の感情の動きのこと(諸説あり)だが、それとは別に百合漫画には他のテーマが隠されていることが多い。
それは「人と違っている」というものだ。
主人公は「他の人と違う」ことで外部から攻撃されている。
例えば周囲から結婚しろや子供を作れと言われたり、自分で選んだランドセルの色がみんなと違っていて「その色は何?」と聞かれたり、あるいは女性だから小食だよねと勝手にカテゴリー分けされたりする。これらの攻撃に悪意がない。ただ善意で言ってたりするので質が悪い。こういう人たちに少数派の主人公は悩まされている。
確かに百合も異性愛と比べて少数派だ。大多数の人と違う。とはいえ「人と違う」=「百合」ではない。
百合とはあくまでも女性同士の感情の動きであって他人と比べてどうのというものではない。つまり「百合」と「人と違う」は別のテーマになるので分けて考えたい。
百合というだけでは多くの読者から共感が得られにくいのだろうか。「人とは違う」という拡大解釈することで読者が一度は経験したであろう、もやっとしたことを描いて共感を得ようとしている気がする。
主人公はいろいろあって(いろいろは作品によって異なるしネタバレになるので詳細は伏せるが)人と違っててもいいよみたいな展開になる。これは僕個人としての感想なのだが、主人公だけでなく読者へのメッセージではないかと考えている。
誰かと違っているのは当たり前だ。みんな理解している。それでも悪意なき攻撃を受けてしまうと、もやっとしたり落ち込んだりしてしまう。
そんなときは百合漫画を読むといい。そこには同じように悩んでいる主人公がいるかもしれない。彼女たちは「普通と違っててもいいんだ」とありのままの自分をゆっくりと受け入れていく。
人とは違っている自分を肯定し受け入れてもいい。そんなメッセージが読者にも届いてほしいと思うのでした。
これは関係ないサムネ用
参考文献。
とくに『欠けた月とドーナッツ』は勇気と安心感をくれる。おすすめ。